三枝夕夏IN db
先月もお伝えしましたように、長戸大幸プロデューサーは様々なアーティストをプロデュースしてきており、特にミュージシャンに対して、バンド形体で音楽的なチャレンジをする機会を与えています。先月号ではスウェディッシュサウンドに傾倒したthe★tambourines、パンク系のサウンドに傾倒したOOMをご紹介しました。所属している男性ミュージシャン[亀井俊和さん(Dr.)、麻井寛史さん(Ba.)、大賀好修さん(G.)、大楠雄蔵さん(Key.) ]は、各々結成したバンドで専門店に特化した(特定の音楽ジャンルという意味)制作を遂行していきました。また、様々なアーティストのサポート・ミュージシャンとして今も活動しています。さらに前述の大賀好修さん、麻井寛史さん、大楠雄蔵さんと、車谷啓介さん(Dr.)の4人はインストゥルメンタル・バンドのSensationを結成、2012年7月に1st AL『Sensation』でデビューしました。今月はその車谷さんが所属していた三枝夕夏IN dbをご紹介します。果たして、彼らはどんなバンドだったのでしょうか?
三枝夕夏IN dbは、最初は三枝夕夏さん(Vo.)のソロ・プロジェクトとして2002年6月12日に1st Sg「Whenever I think of you」でデビューしました。三枝さんが作詞の際に選ぶ言葉には、映画の1シーンのような閃きがあります。例えば「海沿いのカフェ」での男女の様子や「ソーダ水」の使い方は、荒井由実さんの1974年の作品「海を見ていた午後」を彷彿とさせます。
また同年、「MAI-K & FRIENDS HOT ROD BEACH PARTY」というコンピレーションアルバムにも参加しました。このアルバムは倉木麻衣さんを始めとする当時GIZA所属のアーティストが、Beach Boys、Jan&Dean等、米国西海岸発祥のアーティストの楽曲カバーを収録したもので、三枝さんはJan&Deanの「SURF CITY」をカバーしました。その流れで逗子マリーナ、淡路夢舞台等全国5ヶ所でライヴ公演も行ない、彼女も出演しました。ちなみにマニピュレーターは、後に三枝夕夏IN dbのメンバーになった大藪拓さん(Ba.)が担当していました。
長戸プロデューサーは、アーティストに洋楽のカバーを真剣にやるように指示します。それは日本のポップス(Rock、R&B、Danceなど全て)は欧米の音楽シーンをリスペクトし、それに影響を受けて発展してきた背景があり、カバーをきちんと練習すると、メロディ、歌詞の意味、パフォーマンス等多々学ぶ所があるからです。
第二次世界大戦後、ラテン音楽がブームになると欧米や日本で流行りました。次にフランク・シナトラが大スターだった1950年代後半、エルビス・プレスリーの登場によって、それまで歌手を目指していた若者が、シナトラ(ジャズ)からプレスリー(ロック)に憧れをチェンジします。そうしてデビューしたのが、ポール・アンカ、ニール・セダカ等で、彼らは60年代初頭の米国のヒットチャートに登場しました。
その頃、英国のリバプールに住んでいたBeatlesは、デビュー前に西ドイツ(当時)のハンブルグで演奏する機会を得ました。米軍基地の米兵がお客さんだったので、彼らは前述の米国60年代初頭のヒット曲を練習して、披露しました。それが後にBeatlesがヒット曲を量産出来るきっかけになったのです。以前にもご紹介した長戸プロデュース法[ヒット曲を書ける人はヒット曲を沢山知っている]というものです。そのBeatlesがデビューしてまず英国で人気が出て、間もなく米国音楽シーンも席巻しました。英国では彼らに続けと、The Rolling Stones、Kinks等数多くのバンドがデビュー、米国に進出して見事ヒットしました。このイギリスからの波をブリティッシュ・インヴェィジョンと言います。
米国ではBeatlesの対抗馬としてMonkeys等がデビューして大ヒット、日本ではグループサウンズというジャンルが大流行しました。またBeatlesが65年にリリースしたAL「ラバー・ソウル」に衝撃を受けたBeach Boysは、今までのサウンドを一変したAL『ペットサウンド』をリリースしました。一方Beatlesは、米国ツアー中にボブ・ディランの歌詞に衝撃を受け、それまでのラブソング中心から、哲学的な内容や人生、世界平和等を訴える歌詞になっていき、Beatlesはツアーを止めて、スタジオ録音で素晴らしい実験音楽を輩出していきました・・・。ここではその後は割愛しますが、影響を与え合う、というのは現代も続いています。
それからも三枝夕夏さんは洋楽のカバーに本格的に取り組む事で、さらに音楽を追求して行きました。翌年2003年3月、大阪にライヴハウス・ヒルズパン工場が完成し、三枝さんは初出演の5月8日を皮切りに、出演回数を重ねていきました。当時のヒルズパン工場は木曜日だけ営業しており、[Thursday Live]というイベントを開催していました。それはオリジナルではなく、主にカバーを披露するライヴで、"Rock Night""R&B Night""Blues Night""Jazz Night"のようにジャンル分けされたタイトルがついていました。
三枝さんはショッキング・ブルー「VENUS」(オランダのアーティスト。この曲は多くのアーティストがカヴァー)、ステッペン・ウルフ「Born To Be Wild」(当時衝撃的だったロック)のようなバンド物から、マドンナの楽曲等を歌いました。その時にバンドで一緒に出演していたメンバーの中に、岩井勇一郎さん(G.)や、前述の車谷啓介さんが居ました。この一連のライヴのバンド・メンバーは全て、長戸プロデューサーが組み合わせ等も考慮して決めていました。
ライヴで意気投合した事もあって、この二人と前述の大藪さんを正式にメンバーとして加入させて、三枝夕夏IN dbは三枝さんのソロ・プロジェクトから4人のバンド編成にシフトしました。その流れで制作した楽曲が「君と約束した優しいあの場所まで」で、2003年10月に6枚目のシングルとしてリリースされました。バンドらしい疾走感溢れるアップテンポで、後半の演奏のキメが印象的なこの曲はオリコン週間チャートで初登場8位をマークし、一躍注目される事になりました。
彼らはオリジナル楽曲制作と並行して、洋楽のカバーの練習も欠かせませんでした。曲は、岩井さんと車谷さんが在籍していたバンド"NEW CINEMA 蜥蜴"時代に傾倒していたイギリスの音楽からも選ばれ、キンクス「You Really Got Me」等がありました。この曲は激しいリフが特徴で、10数年後にヴァン・ヘイレンがカバーし大ヒットする等、多くのアーティストにリスペクトされ続けています。三枝夕夏IN dbは翌年2004年9月に初のワンマンライヴを開催、翌年にはDVD『U-ka saegusa IN db [one 1 Live]』としてリリースされました。オリジナル曲はもちろん、カヴァーで演奏した前述の「VENUS」Born To Be Wild」「You Really Got Me」も収録されており、彼らのカバー楽曲に対するリスペクトと愛情が感じられます。
その後、彼らはどのような音楽制作をしていったのでしょうか?また近いうちに、メロディ、歌詞、サウンド等を取り上げますので、お楽しみに。
ここからテキストが始まります。ここをクリックして入力を開始。 こしむ いろ はをとち りへほあさ きへあさき よふこむ ねな らむうく やまのお ゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ あさきよ ふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえ てぬ るふこしむ いろはをと ちり へほあさ きへあ さきよふこむ ねならむうく やまのお ゐよく やま えてぬる ふこしむ いろは を とちり へほあさ きへあ さきよふこむね なら むうく やまのお ゐよくや まえてぬ るふこしむ いろ はをとち りへほ あさき へあさき よふこむね ならむ うく やまのおゐ よくや まえてぬる ふこしむ いろはをと ちりへほあさき へあさき よふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえて ぬるふこしむ いろは をとち りへほあ さきへ あさきよ ふこむね な らむうく やまのおゐ よくやま えてぬ るふこしむ いろ はをとち り へほあさ きへあ さきよ ふこむねな らむうく やま のおゐよ くやまえ てぬるふこしむ いろはをと ちりへ ほあさき へあさきよ ふこむねならむう くやまのおゐよ くやまえ てぬるふこしむ。